日本建築史の期末レポート

藤井恵介先生の日本建築史を夏学期に受講しましたが、期末のレポートで評価を決定するので、レポートの作成にはいやが上にも気合いが入ります。

私は「蟇股(かえるまた)の時代変遷」をテーマにして提出しました。

蟇股(かえるまた)とは社寺建築の軒下飾りとして、斗洪と斗洪の間に中備(なかぞなえ)として用いる部材です。禅宗様では組物が多すぎて中備の入る隙間が有りません。そのため和様の建築に見られます。

蟇股は奈良時代から存在しますが、呼称が蟇股となったのは平安時代後期以降に本蟇股が出現した辺りからです。蛙が股を広げた様な形から来ていると言われます。中国ではラクダの背の連想から駱峯(らくほう)と呼ばれ、韓国では華版(かはん)と呼んでいたようです。


最初は法隆寺金堂の人字束や東大寺転害門の初期蟇股と考えられる部材から徐々に変化しました。奈良時代になり板蟇股の基本形ができあがったと考えられます。


板蟇股も初期型から近代まで様々に進化しているのが判ります。

平安時代後期になると間斗束(けんとづか)に加え蟇股が中備に用いられるようになり、板蟇股の内部を刳り抜き装飾的な部材に変化してきました。この形を見れば蛙の股の名前の由来がイメージできます。

鎌倉時代にはいわゆる目玉と呼ばれる猪目や曲玉の透かしが入り形が複雑になってきます。


鎌倉末期から室町では内部の彫刻が更に複雑になり、彫刻の主題も多彩になってきました。


室町末期では輪郭に更に工夫が加えられ彫り物も更に多彩になります。


江戸時代になると彫刻も枠を飛び出したり、枠その物が無くなるなどして、華美になってきます。

日光東照宮の左甚五郎の眠りネコはとても有名ですね。

このレポートはコピーの張り付け禁止なため、夜なべして写真集からトレースして自分で絵柄を並べ年代準に解説を付けました。
藤井先生曰く、自分で描かなければ理解が深まりません、との事です。おっしゃるとおりです。でも大変でした。